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いらっしゃいませ☆ 蒼依の大好きがいっぱい詰まったのんびり日常ブログです。どうぞごゆっくり…♪コメントもお気軽に!!
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ついでにこのことも書き残しておこうかな。

私がいちばん精神的に追い詰められていた頃のことです。

あの頃は、とても文章には出来なかったし、そんな余裕もなかった。

母がうつ病から寝たきりになってしまった時のいろいろです。



やっぱり今日も【続き】に隠しますね。昨日よりもさらに長くて楽しくない話です。


母は元々躁鬱(そううつ)の傾向がある人です。気分の浮き沈みが激しい。
一昨年2007年の夏。
癌への不安や死への恐怖、生活面での悩みなどで、本人も私たちも気付かないうちに
うつの傾向が強くなり、そして食べられなくなり、徐々に噛む力も飲み込む力も衰えて
立ち上がりも起き上がりも難しくなっていきました。
照明を消す、トイレのドアを開ける、そんな動作でさえ上手く出来ず派手に転ぶ。
枕の位置が悪いと夜中に何度も起こされ、枕と頭の微妙な位置を整える。
足や腰が痛い、頭もお腹も痛い、胸が苦しい、吐き気がすると訴え続け、
家に居て起きている間中、子どもたちと交代で胸やお腹をさすっていました。

意味のない点滴を打ちに近所の病院へ毎日通い、
自分で入院させてくれと頼み込んで入院しては、帰りたいと泣き叫んで1日で帰宅。
耳が聞こえない、目が見えないと行っては病院へ(実際は何ともない)
私が仕事に出掛ければ途端に呼吸が苦しくなって呼び戻され、
家と病院と仕事先とを駆け回り、とてもしんどかったことは忘れられません。
9月末、私は仕事を辞めました。とても両立は出来なかった。
移転してくる前のブログを長く休止してた頃ですね。
私はもう自分のやりたいことは何も出来ないんだ、介護しかないんだ、
母が死ぬまでこんな日が続くんだ…って、毎日嘆いてばかりでした。

そして11月、母はついには過呼吸で息が出来なくなり、救急に運ばれて、
寝返りも自分では出来ない寝たきりになってしまいました。
60kg近かった体重は35kgまで落ちました。見るも無残なシワシワでした。
床ずれも出来ました。声も出なくなりました。本当に亡くなる前の老人のようでした。

点滴を受け続けました。そしてとにかく薬を減らすように言われました。
動けなくなる前の母は、あちこちが痛いと言っては薬を飲んでいました。
広島の整形外科・内科、岡山の内科・ペイン(麻酔科)
それぞれに痛み止めや眠剤をもらい、多く飲んでいたのです。

私が知らない間に母は広島でモルヒネ(液体)を処方されて飲んでいました。
どうにも様子がおかしいので岡山に連れて帰り、病院(ペイン)を変わると
今度は薬がオキシコンチン(錠剤)に変わりました。
飲んでも効かない、まだ痛いまだ痛い、耐えられないと言い続け、
初めは20mgだった薬が30→40→60…と、どんどん増えていくのです。

とても不安でした。母の様子は明らかにおかしいし。
先生に相談しても、もっと飲んでる患者さんもいるから大丈夫と言われるだけ。
一日中ウトウトと眠り続け、夜中に覚醒してはマイスリーやドラール・ハルシオンなどの
眠剤を余分に飲み、痛い、苦しいと言い続け…そして寝たきりになったのです。

母が入院して寝たきりになったことを、ペインの先生に報告しに行きました。
その時に初めて言われたんです。
「お母さんはうつ病じゃないですか?そういう顔に見えるんだけど…。
うつ病だとね、少しの痛みが何倍にもなって脳に伝わることがあるんです。
不安な気持ちが痛みを脳に大きく伝えるんですよ。
痛い痛いとおっしゃるけど、お母さんの場合、薬を増やしても意味がなさそうですね」

「は!?」と思いました。いまさら?もう寝たきりになってしまったんですけど?
主治医(肝臓内科)の先生いわく、麻薬系の薬や眠剤でうつがひどく進行したのかも知れないと。
でもそのペインの先生は「薬でそうなることはありません」と、決して認めてはくれませんでした。

すごくすごく後悔しました。そして恨みました。
患者の言うままに薬を増やし続けた、岡山のペインの先生を。
腰痛を訴えた母に最初にモルヒネを処方した、広島のペインの先生を。
そして受診したことのなかったペインに、母を連れて行ったあの人を。

でもいちばん悔やんだのは自分自身。飲ませなければよかった。
母は、オキシコンチンを飲みながら、痛みに耐えきれない時はモルヒネも飲んでいました。
何度も泣いて止めましたが、聞いてはくれませんでした。
私が取り上げてしまうと、泣いて叫んで発狂して、飲まないと治まらない。
でも、無理矢理にでも捨ててしまえばよかった。

後悔しても遅いですけどね。
結局のところ、薬とうつ病の進行の関係はよくわかりません。
でも私は絶対に要因のひとつだと思うんです。
薬って、飲み方を誤るととっても恐いです。頭も身体も心も、壊れてしまうんです。

それから母は薬を減らし、点滴を受け、少し声が出るようになりました。
その頃、主治医の先生や心療内科の先生からは、
元通り元気に歩けるようになって退院するのは難しいだろうと言われていました。
絶望的だと思いました。60ちょっとで寝たきりなんて。

少しすると、プリンやお粥が食べられるようになりました。
最初はもちろん自分では食べられません。
ベッドの頭を斜めに立てて寝たままの状態で、口に運んであげていました。
また少しすると、ベッドの頭を垂直に近い状態まであげられるようになりました。
そこに寄掛かったまま、介護用のスプーンで食べる練習をしました。
病院の食事の他に、かぼちゃや里芋を煮付けてつぶしたもの、果物を細かく切ったもの、
そんな食べやすいものを持って行って食べさせました。
噛む力や飲み込む力が弱っていたため、誤飲の危険性があると。
肺に入ってしまったら死んでしまう可能性もあるコーヒーや紅茶は止められていました。

食事が出来るようになると、座っていられるようになりました。
車椅子に乗って、毎日のリハビリが始まりました。
理学療法では、座る・立ち上がる・足の上げ下げ・歩く・振り返るなどを練習し、
作業療法では、着替え・塗り絵や箸・積み木の移動・浴槽をまたぐなどの練習をします。
母はリハビリが嫌いでした。努力が似合わない人です。
でも、動けるようになるために、先生に叱咤激励されながら頑張りました。

そしてその年の年末、母は退院することが出来ました。
まだまだ歩くのもフラフラで、紙おむつも履いたままでしたが、なんとか帰ることが出来ました。
先生方は「奇跡的だ」と言われました。本当によかった。

退院して数日後に、家の中でこけてあばら骨が折れるなんてこともありましたが。
電動式ベッド・車椅子・トイレの手すりをレンタルしたり、お風呂の介護椅子を買ったり。
そんなこんなで今では普通に生活出来るまでに回復しています。
病気のこともあるので、ひとりで生活は難しいですけどね。

ただ、ほんとに身体を動かすことを一切しないので…。
35kgまで落ちた体重が1年半弱で30kgアップの65kg(汗)
さすがにね…先生に注意されましたよ。ちょっと痩せて!って。
脂肪層が厚いとね、治療がしにくいらしいです。エコーも見えにくいし。
さらに糖尿は傷の治りを遅くすると…まだまだ課題は山積みですね。

母も今では調子の良い日は好きなパチンコに行って遊んだりしています。
私の送り迎えつきですけどね(笑)
私はギャンブルの類いは一切しないので、なんだかな~と思うこともありますが。
あの頃のことを思えばね、まぁそれもいいかと思えるのです。

思い返せば入院はたったの1か月半。その時はとてつもなく長く感じたけど。

親の排便をすぐ近くで見守ったことがありますか?お尻を拭いたことは?
いくら生んでくれた親でも、キツいもんはキツい。
寝返りや起き上がりの手伝いで、しばらく腱鞘炎になりました。
介護のお仕事をされてる方、本当に尊敬いたします。

やっぱり親は元気で居ないとね!
私もなるべく早めに癌検診、行こうと思います。
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無題
こんにちは(^w^)

私の祖母も、寝たきりでしたよ。

私が幼稚園の頃から、糖尿病でね。

色々と合併症を起こして、私が高校生の頃には、寝たきりになりました。

きよ葉の母が看護師って事もあり、ギリギリまで自宅で、介護をしてました。


うん、私も祖母のオムツを替えたり、食事の補助や着替え等々やりましたよ。

正直、シンドイよね…。

でも、祖母からの《ごめんね》の言葉が一番辛かったなぁ(涙)

《ありがとう》じゃなくって《ごめんね》なんだもん。


でもさ、自分が生まれた時に同じ様に、親に(特に母親に)してもらったんだよね。


人が人を育てるって凄いよね。

人が人を介護するって凄いよね。

西園きよ葉 2009/06/24(Wed)18:28:49 編集
蒼依ちゃんへ
こんばんは!!

先日は久々に話せて嬉しかったよ。

お母さんの今の状態と、去年の状態を改めて文章で読むと、お母さん、蒼依ちゃんがどんなに大変だったかという事が分かった気がするよ。

どんなに精神的に辛かっただろうかと、今更ながら思いました。

だけどちっとも力になれないし、励ますことしか出来なくて・・・。

大切な人が病気でどんどん悪化していく。
私も経験したけど、本当に目の当たりにするのが辛かったし、声にならない時もあっりしたよ。

蒼依ちゃんの経験してることを、すべて分かってあげられないかも知れないけど、ずっとずっと応援しているからね。

辛いときはいつでも待ってるからね。



2009/06/24(Wed)21:05:28 編集
きよ葉さんへ
きよ葉さーん!!
こんな長~い長い文を読んでくださってありがとう(_ _)

高校生の頃からお祖母さまのお世話をされてたのね。
すごいなぁ…なかなか出来ることじゃありません。

今の私の年になっても、それが母親であっても、やっぱりキツいししんどいのに。

看護師さんとか介護のお仕事をされてる方って、本当に素晴らしいなぁって思います。
ほんと、尊敬します。

確かに、ごめんねって言われると応えますね…。
『ありがとう』には笑顔が返せそうだけど、『ごめんね』には涙が出るかもしれないな。


そう、生まれた時にしてもらった恩返しとも考えたんだけど。

自分の子のあらゆる世話をするのは当たり前のようでさほど辛くないのに、
それが親の世話となると何十倍も何百倍も辛い。

なんで?って思って考えてみると、それってやっぱり先が見えないからでしょうね。

日々いろんなことが出来るようになって成長していく希望でいっぱいの我が子と、
徐々にいろんなことが出来なくなってどんどん弱っていく親。

終わりの見えない恐怖。

そう思ってしまう私は、やっぱり器がちっちゃいのかな。
蒼依 2009/06/30(Tue)14:57:13 編集
花ちゃんへ
花ちゃん、この前は電話ありがとう♪
久々だったよね。私も嬉しかったよ!

花ちゃんには母のことを時々話していたけど、あんまり詳しくは話してなかったもんね。
うん、あの頃はね…
ほんとにもうダメだ~私の未来はないんだ~自分のことは何ひとつ出来ない~なんて毎日嘆いてて。
今思えばたったの1ヶ月半なのにね。
その前の様子がおかしくなってから考えても半年ほど。
なんであんなに長く感じたのかと思うよ。

それに花ちゃん!
ちっとも力になれないなんてことないよ!!
花ちゃんやいろんな人から気にかけてもらって、励ましてもらえて、すっごく救われてるのよ。
あんまり書けないけど、こうしてブログを見に来てもらえるのだって嬉しいしね。

それよりも。
私は今はまだ落ち着いてるからいいんだけど、私は花ちゃんの体調の方が心配。。。

無理しちゃダメよ。
辛いことがあったら話してね。
蒼依 2009/06/30(Tue)15:10:02 編集

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